2010年2月24日水曜日

川越・氷川神社と勝海舟



▲川越のシンボル・時の鐘

急にあたたかくなりました。
あんまりいい陽気なので
昼にぶらりと小江戸・川越へ。


川越の街をゆっくり流してから
いつも立寄るのが川越氷川神社。
ちいさいけれど、きれいな神社です。


▲川越氷川神社境内

良縁にご利益ありとの「縁結び玉」
(一日限定20体・無料領布)は大人気らしく、
なかなか入手できないとか。
絵馬のイラストが大塚いちおさんだったり、
なにかと時世にあわせた気遣いのある神社です。

ところで、この神社の鳥居の扁額は
あの勝海舟の文字。


勝海舟は赤坂の氷川神社に縁の深い人。
(『氷川清話』の題もそこから)
この扁額は、赤坂氷川神社所蔵の
勝海舟の掛け軸からとられたものらしい。

以上、前回記事から幕末つながりでした。


……現代日本で氷川といえば、
「氷川きよし」ですかね。
これはビートたけしさんが名付け親で、
赤坂氷川神社にあやかっての命名とか。

2010年2月20日土曜日

水戸弘道館・梅と幕末


▲偕楽園、紅梅

あたたかな土曜日でした。
今日から梅まつりとのことで、9時すぎに出発して水戸方面へ。
常磐道・水戸北ICのETC出口から118号で水戸市街へ入ります。渋滞もなく弘道館に到着。水戸市街入りはこのルートが便利です。

▼弘道館正門前に駐輪
弘道館、敷地裏の梅は以前見に来たことがあるんですが、中には入ったことがありません。今日は入場料190円を払って見学。

弘道館は徳川斉昭が水戸藩の藩校として建てたもの。

武家の学校なので凛としていながら、
もちろん和風なのでどこか落ち着きます。

▼玄関すぐに「尊攘」。すなわち尊王攘夷
▲畳縁は葵の御紋

徳川斉昭(なりあき)、NHK大河『篤姫』でいえば江守徹さんがやっていた役ですね。才気あふれ幕政でも権力を持っていたけれど、井伊直弼(中村梅雀さん)と対立して水戸に蟄居されられるのが斉昭。例の黒船来航後の将軍継承と攘夷開国をめぐる対立です。開国の井伊直弼が南紀派・攘夷の徳川斉昭が一橋派。

斉昭はたしかに多方面の才能があったようで、ここ弘道館も偕楽園も斉昭のプランニングによるもの。弘道館と偕楽園にたくさんの梅があるのも斉昭の趣向。春の魁(さきがけ)として花を咲かせ、梅干という保存食にもなる梅を、斉昭は好んだようです。

弘道館の展示物には、斉昭が当時の列強対策として考案した「潜水艦」の設計絵図なんてものもある。黒船撃沈の秘策ですね。一橋派が実権を握っていたら、実際に建造されていたかもしれない。

▼斉昭考案の潜水艦絵図
ちなみに斉昭は生涯に37人の子(22男15女!)をもうけています。殿様の大事な務めとはいえやはり相当な好色家であったらしい。江戸城大奥が井伊直弼の南紀派を推したのは、斉昭のあまりの好色ぶりを嫌ったからとか。

やがて桜田門外の変で井伊直弼が討たれ、
その同じ年に斉昭も水戸で死去。

7年後、幕末の動乱を経て、
斉昭の子・慶喜が最後の征夷大将軍になる。

しかしもはや攘夷の潜水艦どころじゃない。
大政奉還、鳥羽伏見、無血開城。
返還、退却、幕引きが徳川慶喜の役回り。

▼カメラ好きだった慶喜
無血開城後、慶喜が謹慎した部屋
「至善堂」も弘道館にあります。

慶喜が江戸の寛永寺を出て
水戸に向かったのは1868年5月3日。
黒船来航からたった15年後のことです。
幕府を終わらせることになった慶喜、
いったいどんな心境でこの座敷に起居したのか?

▼慶喜が恭順謹慎した部屋・至善堂
とまあ、
しばし意識を幕末にタイムスリップさせて
世の変転の激しさを実感するにはよい場所です、弘道館。

斉昭が愛でた庭の梅の花は、ちらほら。
寒中から咲く黄色い蝋梅はすっかり開いていました。

▼玄関脇の蝋梅(ろうばい)
▲庭の紅梅

つづいて偕楽園へ。
いつも思うんですが、偕楽園のあたりは
東京(江戸)の上野公園と雰囲気が似てますね。
不忍池のかわりに千波湖、
桜ではなくて梅。
斉昭が意識していたのかどうか。

▼偕楽園から千波湖を
千波湖の対岸には映画『桜田門外の変』(主人公の水戸藩士に大沢たかお、井伊直弼に伊武雅刀、斉昭は北大路欣也というキャスティング)のオープンロケセットが出来ています。今回は足を運びませんでしたが。
(大沢たかおさんは『仁〜jin』に続いての幕末もの。昨秋には発表直後のCB1100に試乗して開発者と対談する動画もホンダのサイトで公開されてました。かなりのオートバイ好きだそうで)

偕楽園には開花した梅もあったものの、全体としてはまだまだ。
駐車場にも「三分咲き」と張り出してありました。

水戸の梅、満開にはもうすこし、です。

▼偕楽園は三分咲き

2010年2月19日金曜日

大黒埠頭・遠くからQM2

▲QM2

午後に時間をつくって電車で鶴見へ。
バスで大黒埠頭まで行きクイーンメリー2を見てきました。

スカイウォークからは遠くにちらっとしか見えず。
しばらく埠頭を歩きましたが、あちこちに警備員が出ていて「関係者以外、立ち入り禁止」。あまり接近できません。

▼すこし望遠で

ようやく見えたのが写真の位置。
たしかに大きいけれど……間近ではないため身体的には実感できず。
ちょっと残念でした。

youtubeに新聞社が空撮した今朝の入港シーンがありましたので貼りつけておきます。

2010年2月18日木曜日

大黒埠頭・QM2が19日寄港


▲大黒PA

前の記事から船つながりで……。
「洋上の宮殿」クイーンメリー2が、
長崎港に入港したというニュースが出てましたね。
昨年横浜に来たときは大きすぎてベイブリッジを通過できないため(海上高62m!)大黒埠頭に着岸。いまはオアシス・オブ・ザ・シーズなんて豪華客船も就航していますが、QM2だってつい数年前まで世界最大だった客船。

QM2のクルーズスケジュールを調べると、
http://www.i-net-japan.co.jp/qe/2008-12-22.html
明日2月19日に横浜寄港予定。
昨年の寄港時は開港150年祭で見学場所も設置されたけれど、調べてみると今回は埠頭内立ち入り禁止。QM2を見るとすればベイブリッジスカイウォークがよさそうです。(http://www.city.yokohama.jp/me/port/cruise/qm22010.html
スカイウォークにはおなじみの大黒PAから別料金で行けますね。明日18:00時出港ですからチャンスは明日だけです。
こちら↓はQM2のブリッジのライブカメラとのこと(……何度か見ましたがなぜか画面は黒いまま)。
http://cunard.com/bridgecam/qm2_cam1.asp

ついでに。
下の写真は2007年に横浜で撮影したホクレア号の写真。
ナイノア・トンプソンの、スターナビゲーションの、あのホクレア号です。QM2も見てみたいけれど、オートバイにはやはりホクレア号のスピリットが似合います。
ちなみに、http://kanauchi.exblog.jp/
はホクレアのクルーで写真家の内野加奈子さんのブログ。

▼横浜・ぷかり桟橋のホクレア号

2010年2月14日日曜日

横浜中華街・春節の海の女神

▲媽祖廟は「海の女神」

今日は旧暦元旦。空気は冷たいけれど晴れて風もない。
ということで横浜の中華街へ。首都高台場線から東京湾トンネルをくぐって湾岸線。横浜ベイブリッジを渡って高速を降りるともう横浜中華街です。5号線飯田橋近辺で渋滞があったもののあとはスムーズ。中華街のはずれに路駐してぶらぶらします。

春節の中華街はさすがにたくさんの人出。とりあえず目についた招福門さんで300円の肉饅頭をいただきます。店の前には飲茶食べ放題の長い行列。
つづいて賑わう横浜媽祖廟にお参り。
中華街の道教寺院というと関帝廟が有名ですが、媽祖廟は2006年にできたばかりの新しい寺院。媽祖(まそ)とは世界各地の華僑に厚く信仰されている海の神様、女神さんです。別称「天后」あるいは「天上聖母」。もともとは北宋時代に実在した神通力を備えた不思議な女性だそうです。

▼媽祖廟の香炉
▲招福門の飲茶食べ放題には長い行列が

さらに中華街をぶらついた後で市街をVFRで散策。途中、赤レンガ倉庫で休憩。近くの桟橋には海上保安庁の「しきしま」が停泊していました。ひらけた湾の景色と青空が心地いい! けれど今日は午後に用事があったので短時間でひきあげです。

▼左が「しきしま」、右遠方はベイブリッジ


「しきしま」、帰って調べたら世界最大の巡視船とのこと。
じつはプルトニウム運搬船として建造された船で、テロ対策を考えて航続距離は20000海里以上。ヨーロッパから日本までオーストラリア南部回り(?)で無寄港で航海可能だそうです。1海里は1852メートルですから37000キロ以上。赤道一周に近い距離を無寄港とは! そんな航海になれば(船はともかく)乗組員はキツいでしょうね。何日かかるんだろう?

2010年2月12日金曜日

ホンダビル・furyで140マイル?

▲vx1300CX・全長は2575mm!

昼前に青山に出向く用があったので、
ちょっとだけホンダビルに寄ってみました。
CB400や大型ではVX1300CXを展示中。

せっかくなのでVX1300CXにまたがってみて、驚きました。
タンクが長〜い!
見ているとスリムでシャープ、ぐらいにしか思いませんが、
またがってみると、ものすごく長い。
平均台にまたがっている感じ(*)です。
(※VFR比)

タンク容量は12Lとのこと。
燃費が20Km/Lとしてもリザーブまで航続距離200Km弱?
北米で人気の車種と聞いていたのですが、
この巡航距離で売れたということは、
よほどスタイルが好かれたんでしょうね。
ああVmaxもそうか。

と思ってさっきあちらのフォーラムを見てみたら、やっぱりfuryのタンク容量でためらっている人がいる。
(以下 http://www.furyforums.com/ より超訳)

Q. 試乗して本気で欲しくなったんですが航続距離が137マイルとか。ここワシントン州ではガスステーションは50〜60マイルおきです。となるとガスステーションのたびに給油しなきゃいけません。フューエルゲージもありませんよね。みなさんはどう乗ってるんですか?
——140マイルで給油です。2時間飛ばせますヨ。いつも2時間ぐらいで休憩したくなるので、私にはちょうどいい
——100マイルおきに給油しているのはオレだけ?
——まったり(コンサバな)走りで137マイル走った。平均115マイル
——さっき84マイルで燃料ランプがついたけど……
——ガス欠まで走ったヤツいるのか?
——ランプついたら残り0.66ガロン、せいぜい30マイル。そのあとは押した……。もう二度とゴメンだ。けどインジェクションはガス欠まで走らせないないほうがいいよ。

以下略。
オートバイ乗りのやりとりは、どの国でも似た感じです。

▼とてもストレッチなタンク

2010年2月11日木曜日

紀伊半島・伊勢神宮へ6時間

▲まだ新しい宇治橋を渡って

紀伊半島に一泊ツーリングに出かけたのは11月下旬でした。
帰路については先日書いたので、今回は往路のことを。

伊勢を目指して自宅を出発したのは午前5時。
さいたまの自宅から伊勢神宮まで高速道路で500キロです。
富士山を眺め、浜名湖を過ぎ、あの豪快な伊勢湾岸道路を渡ります。伊勢にはクルマでなんどか行ったことがあり今回は宿泊先も決まっていたので、とっても気楽です。
ツーリング初日、天気晴れ、渋滞なし。
オートバイに乗っていてもっとも爽快な時間かもしれません。

▼富士川SAで見る富士山

順調に走って伊勢の外宮の駐車場にバイクを停めたのは午前11時15分。SA休憩3回の無理ないペースで、所要時間6時間15分。

▼外宮本宮

外宮参拝後に内宮に移動。
最近は内宮駐車場が混んでいてクルマが停めにくいようですが、オートバイは宇治橋近くにたくさん停っています。横に並んで駐輪。

▼内宮近くに駐車したVFR
 五十鈴川の御手洗場・本宮・荒祭宮



内宮参拝後、おはらい町で伊勢うどんの定食を食べ終えたのが午後3時。おはらい町をぶらぶらしてから、伊勢志摩スカイラインで鳥羽へ向かい、6時すぎにホテルに無事チェックインできました。

▼伊勢志摩スカイライン・朝熊山から見た鳥羽湾方面

さて、このときは鳥羽に宿泊しましたが、かりに参拝後に日帰りするとどうなるでしょう?

往路と同ルートを同じペースで走ったとして自宅到着は夜の9時15分。夜食の時間は必要だし、夜走りになって疲れも出るのでプラス2時間としても11時15分。
日帰りのお伊勢参りも、まあ可能です。
6月に伊勢道が無料化されるようですから、関東から日帰りでのお伊勢参りは増えるかもしれません。

ただし「この同じ道をまた今日中に帰るのか」と思うと往路からちょっと気が重い。このあたりは人間心理の微妙なところです。日帰りするにしても帰路は伊勢湾フェリーを入れるとか、変化をつけたくなりますね。

2010年2月7日日曜日

牛久阿見・アウトレットと大仏


▲駐車場の彼方に

牛久大仏をはじめて見かけたときは(比喩ではなく)心臓がドキッとしました。「な、なんだ、あれは!?」(マンガ風に言えば「え」や「う」に濁点+っ!、の感じ)。まったく予備知識なしに全高120mの立像がぬうっと視界に入ってくると、そうなります。ウルトラマンとかガメラとかその手の実写映画の世界に入ってしまったような。巨大フジ隊員を思い出すような。(——べつに大仏さんを茶化しているとか批判しているとかそういうことではありません。念のため)。

今日は、常磐道から圏央道を走って阿見東ICの「あみプレミアム・アウトレット」に立ち寄りました。その駐車場からも直線距離で2キロ離れた大仏さんが見えます。不思議な風景です。彼方の大仏は1989年着工ですからバブル期の真っ盛り。此岸のプレミアム・アウトレットは昨年開業でデフレの象徴。バブルとデフレ、信仰と物欲、豊かさって? この20年はいったい? 的ないかにもな対比と問いを直球で見せられているような。


▼振り向けばプレミアムアウトレット

利根川橋・風の強い日には……



▲水鳥も強風をしのいで……

今日は常磐道で横風にあおられました。
守谷PAの手前、利根川を渡る橋の上で強い横風。
タンクの上に前傾して、斜めに走る感じでしのぎました。VFR、重量があってもフルカウルなので風向きによってはハンドルを取られます。冬そして春先の突風時は気をつけなくては。風の強い日には遠出はするな、かな。

▼守谷SAには強風を避けるバイクが次々に

2010年2月6日土曜日

アクアライン・横風注意!

▲アクアライン・海ほたるから見た木更津方面

ずっと昔にオフロードに乗っていた頃は、
幾度となく風で怖い思いをしました。
トンネルの出入口、大型トラックとのすれ違い……。軽量で重心の高いオフロードバイクは風圧で車体が流されます。トラックに吸い込まれそうになったり、ガードレールに接触しそうになったり。

先日、房総からの帰路のアクアラインで、
ひさびさに風圧の怖さを思い出しました。
前方を走っているセローがふらりと横に流されて車線をまたいでいます。VFRは排気量のわりにかなり重量車(装備重量251kg)なのでそこまではいきませんでしたが、アクセルをゆるめて渡り切りました。
海上吹きさらしなので、強風時は要注意。

紀伊半島・那智の滝から何時間?

▲七里御浜の高速バス停留所。さいたま(大宮)行き

写真は紀伊半島に一泊ツーリングに出かけたときのもの。紀伊勝浦の手前、熊野街道沿いの道の駅「パーク七里御浜」でみつけた高速バスの停留所。ここから大宮まで高速バスが出てるのか! と驚いて撮ったものです。

このときは一日目に伊勢志摩をまわって鳥羽で宿泊。二日目は早朝に出発して熊野・那智の滝を目指しました。道草しながら熊野街道をくだって那智の滝についたのが正午。ちなみに、那智の滝は熊野那智大社別宮飛瀧神社(ひろう神社)の御神体。

▼飛瀧神社鳥居・落差133mの那智の滝






▲青岸渡寺から見る三重塔と那智の滝

さて、ここからどう帰るか。
来た道を戻れば、真夜中前には帰宅できるでしょう。
しかしここまできたら、南紀の道も走りたい……。

グーグルマップでルート検索すると、熊野那智大社からさいたま市の自宅まで615キロ・9時間30分。これは来た道を戻った場合です。熊野街道を先に進み、南紀の海岸線を走って南紀田辺ICから高速に乗ると790キロ・12時間。休憩を3時間とすると、自宅への帰着は午前4時になります。
まあせっかくだから、と南紀の海岸線を北上。南紀田辺ICから高速道路に乗り、深夜の高速を何度もSA休憩しながら走り続け(缶コーヒーを何本飲んだことか!)、クタクタになっての帰宅は午前4時すぎでした。

熊野那智の滝からさいたま市まで、約800キロを15時間。
フレッシュな状態で朝に出発し休憩をほどほどにすれば、12〜13時間で行けるかもしれません。朝6時に出て夕方6時に目的地で投宿と考えると、高速700キロ+一般道100キロ程度が移動可能範囲ということになります。
私とVFRでの長距離移動性能は、いまのところこれくらい。

ちなみに三重交通のHPで高速バスの時刻表を調べてみたら、七里御浜を20時20分に出る高速バスは翌朝6時45分に大宮駅に到着。580キロを10時間25分、片道料金10240円とのこと。


2010年2月5日金曜日

冬の装備・ハクキンカイロ


▲白金懐炉。「スポーツ」とやや薄手の「BM」

ハクキンカイロをふたつ持っています。
すこし前にZippoのハンディウォーマーが流行りましたが、私のは昔ながらのハクキンカイロ。内部の火口にプラチナ繊維が入っていて、揮発したベンジンが触れると触媒効果で発熱する仕組み。使い捨てカイロより断然暖かく、愛用中。
寒い日のツーリングではインナーポケットにひとつ、外ポケットにひとつ入れていきます。いちどジーンズのポケットに入れて高速を走り、熱くて熱くてたまらなくなったことがあります。密着による低温やけどに注意。

▼iPhoneとのサイズ比較。ちなみに穴は孔雀のデザイン
(海外での製品名はPeacock warmer)

レインボーブリッジ・湾上回廊

▲レインボーブリッジからの眺望

休日の昼、出遅れたけどちょっと走りたい。
そんなときは首都高に乗ります。
5号線から竹橋、谷町へと向かい、東京タワーが見えて芝浦からレインボーブリッジを渡る。レインボーブリッジから見る湾岸の風景は、何度走っても見飽きません。
  
トンネルやビル街のカーブを抜けたあとで、視界に海とレインボーブリッジが入ってくる。直後にあっさりと東京湾上に出て橋を渡る。
その風景の変化が小気味いいし、800mの全長はすぐに渡りきってしまうので、また走りたくなるんですね。

▼朝早い時刻、ほぼ同じ位置から

2010年2月4日木曜日

善光寺詣り・VFRに曳かれて……


▲三門(山門)の有名な額

VFRでの最初のロングツーリングは善光寺でした。
VFRはツアラーです。一日かけて長い距離を走ってみてその性能と乗り心地を確かめるのが善光寺詣りの目的。自宅のさいたま市から、関越・上信越と走って長野ICまで200キロ。帰りに諏訪方面に回って中央道から戻ると往復で500キロのツーリングになります。
目的地はどこでもよかったのですが、たまたま家にあった「牛にひかれて善光寺詣り」の手ぬぐいを見て思い立った次第。大型二輪に曳かれて……の善光寺詣り。

当日は7時前に出発して、途中のSAで3回休憩。
VFRでの高速道路巡航はきわめて快適。
常用域+αの範囲でのストレスはまったくありません。継ぎ目の段差などもスタッスタッと越えていく。
VTECの4バルブ領域ではかなりの加速感も味わえますが、そんなときでも車体はピタッと安定している。不快な突き上げや振動がありません。

▼関越寄居SAにて

というわけで、あっさりと10時には善光寺に到着。
休日の善光寺は人出も多く、けっこうな賑わいを見せていました。
このときはVFRを善光寺裏手の駐車場に停めたために、本堂で参拝してから三門→参道→仁王門→門前街という順にぶらぶら。

いつもながらオートバイで高速道路を走って遠くの街に着くと、ちょっとしたワープ気分です。あれっなんでこんなところにいるんだっけ? というような。高速巡航と街歩きのあいだには知覚や記憶のモードにおおきなギャップがあって、そのずれと補正への負荷が意識の一部を棚上げ状態にしてしまうんでしょう(たぶん)。そのちいさな混乱というか浮遊感が、ツーリングの愉しみでもあるわけですが。

▼善光寺界隈。(上)本堂 (下)仲見世通りから三門を


ところで、善光寺の「善光」は(僧侶でもない)男の名前なんですね。このとき善光寺縁起を読んではじめて知りました。善光寺縁起によれば——

飛鳥の世、推古天皇の時代に信濃の国に本田善光という男がいて、あるとき国司にしたがって都に向かった。難波の堀江にさしかかった折、どこからともなく「ぜんこう、ぜんこう」と呼ぶ声がする。驚く善光の前に、堀江の水中より輝く尊像が出現。じつはこれ、印度から百済へそして日本へと渡来したありがたい生身の阿弥陀如来様の尊像であり、かつて物部氏による仏教排斥の際に堀江に投げ捨てられたものだった。本田善光はこれを背負って信濃の我が家に戻り、お堂を建てた。あれこれ不思議な霊徳があり、やがて善光寺となった——。

つまり、特定宗派や偉いお坊さんが建てたのではなく、一介の男が不思議な如来像のために建てた御堂が善光寺。古来より善光寺が、宗派も男女も貴賎も問わず参拝者を受け容れてきたのは、仏教伝来のごく初期に建てられた寺だからこそ、というわけです。

この日は善光寺散策の後、上信越道で岡谷ICまで走り、諏訪湖周辺をしばらくながした後、諏訪ICから中央道で帰宅しました。渋滞もあって帰宅は夜8時過ぎ。さすがに疲れましたが、目立ったトラブルも身体の痛みもなく、無事に試行ツーリングを終えました。