2010年5月10日月曜日
R361・木曽から飛騨へ
週末の土日、一泊二日のツーリングに行ってきました。よく晴れて、木曽と飛騨の川沿いの道をのんびり堪能できました。
以前から走ってみたかった木曽や飛騨の道。
関東から日帰りではちょっとだけ遠い。そこで金沢に宿をとり、行き帰りに走ることにします。金曜夜に宿を予約して土曜早朝に出発。
まず伊那から飛騨高山へ。R361を走ります。
6時前に出発して伊那IC到着が9時30分。
権兵衛トンネルでR19(中山道)へ。
権兵衛トンネルは2006年に開通したばかり。旧道R361は冬季閉鎖も多く、木曽と伊那を結ぶルートの開通は江戸以来の悲願(もっと前から?)だったとのこと。
そもそも権兵衛トンネルの名前は江戸初期の牛方(運送業)・古畑権兵衛に由来。古畑権兵衛は伊那と木曽の人々を説得動員して物資輸送ルート・権兵衛街道を開いた人物。子孫の方がいまも木曽の神谷に住んでらっしゃる。木曽の漆器や工芸品を運び、伊那谷の米と交換する。木曽の暮らしはずっとそうして続いてきたということ。
R19の道の駅・日義木曽駒高原で休憩。ここからは木曽駒ヶ岳が見える。「中山道 東西中間之地」の石碑も。
R19からR361に折れると高原ルートのはじまり。
前半は木曽駒高原から開田高原へ、谷合のちいさな集落を結んで走るルートです。整備された快走路。別に旧道のクネクネ道もあり好みの道を楽しめます。
開田高原に向かう途中、ふと写真でも撮ろうとVFRを停めた場所が清博士(せいばかせ)。横を見ると「安倍晴明の墓」の看板。なぜここに清明の墓? ちょっとびっくりしました。
帰って調べたところ清明の墓は京都の嵯峨にも。清明に由来する場所は京都、大阪、名古屋など各地にある。鎌倉にもありますね。この墓、御嶽山が古来の修験の地だったことと何か関係しているのか? 源氏や平家の落人との関連か? 謎。
開田高原へ。
すこし走った風里には木曽馬の里。馬が放牧柵の近くでぱくぱくとタンポポの葉っぱを食べている。
木曽駒は背が低くスマートな馬。温和な性格で仕事の覚えもよいため運搬や農耕に使われてきたとのこと。ここでは木曽駒に自由に触れる、乗馬もできる。いいところ。
ずっと二車線を進むと、九蔵峠の手前でしばらく山道。九蔵峠からは木曽の御嶽山の姿が見事。独立峰は姿がひきたちます。眼下左手には川沿いの集落と田畑が。
このあたりまで走って気づいたのだけれど、R361には他の観光地にありがちな広告看板のたぐいがほとんどない。必要な情報はちいさな案内板だけに統一されている。だから走りながらの景観がとてもすっきりしている。これは素晴らしいこと。
長峰峠を越えると信濃から飛騨へ、道は木曽路から飛騨路に。
飛騨川に沿った下りでダムの道になる。
いくつかダムを過ぎると美女高原。美女峠のあたりからは、里の風景の遠くに乗鞍岳が。あいかわらずずっと快走路。
美女高原をすぎると飛騨高山はすぐ。
高山陣屋前に1時30分に到着。
伊那から高山までR361の約100キロをゆっくりペースで約4時間。
高原とダムを抜ける、いい道でした。
観光看板も信号もほとんど無い素晴らしい風景の道が100キロ。長峰峠のあたりからは「まだ続くのかい!?」と嬉しい驚きを感じながら走っていました。もしこのルートが首都圏にもうすこし近ければクルマとオートバイで混んでしまうはず。首都圏にはモノはなんでも集まるけれど、道や風景はモノと違って移動できないし交換できない。ちょっとした距離の隔たりで贅沢なルートが残る。
今回は高山から金沢へ向かったけれど、高山から平湯を経て松本に抜けるR158とあわせればロングの日帰りも可能かも。またいつか走ってみたい道です。
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