2010年2月4日木曜日

善光寺詣り・VFRに曳かれて……


▲三門(山門)の有名な額

VFRでの最初のロングツーリングは善光寺でした。
VFRはツアラーです。一日かけて長い距離を走ってみてその性能と乗り心地を確かめるのが善光寺詣りの目的。自宅のさいたま市から、関越・上信越と走って長野ICまで200キロ。帰りに諏訪方面に回って中央道から戻ると往復で500キロのツーリングになります。
目的地はどこでもよかったのですが、たまたま家にあった「牛にひかれて善光寺詣り」の手ぬぐいを見て思い立った次第。大型二輪に曳かれて……の善光寺詣り。

当日は7時前に出発して、途中のSAで3回休憩。
VFRでの高速道路巡航はきわめて快適。
常用域+αの範囲でのストレスはまったくありません。継ぎ目の段差などもスタッスタッと越えていく。
VTECの4バルブ領域ではかなりの加速感も味わえますが、そんなときでも車体はピタッと安定している。不快な突き上げや振動がありません。

▼関越寄居SAにて

というわけで、あっさりと10時には善光寺に到着。
休日の善光寺は人出も多く、けっこうな賑わいを見せていました。
このときはVFRを善光寺裏手の駐車場に停めたために、本堂で参拝してから三門→参道→仁王門→門前街という順にぶらぶら。

いつもながらオートバイで高速道路を走って遠くの街に着くと、ちょっとしたワープ気分です。あれっなんでこんなところにいるんだっけ? というような。高速巡航と街歩きのあいだには知覚や記憶のモードにおおきなギャップがあって、そのずれと補正への負荷が意識の一部を棚上げ状態にしてしまうんでしょう(たぶん)。そのちいさな混乱というか浮遊感が、ツーリングの愉しみでもあるわけですが。

▼善光寺界隈。(上)本堂 (下)仲見世通りから三門を


ところで、善光寺の「善光」は(僧侶でもない)男の名前なんですね。このとき善光寺縁起を読んではじめて知りました。善光寺縁起によれば——

飛鳥の世、推古天皇の時代に信濃の国に本田善光という男がいて、あるとき国司にしたがって都に向かった。難波の堀江にさしかかった折、どこからともなく「ぜんこう、ぜんこう」と呼ぶ声がする。驚く善光の前に、堀江の水中より輝く尊像が出現。じつはこれ、印度から百済へそして日本へと渡来したありがたい生身の阿弥陀如来様の尊像であり、かつて物部氏による仏教排斥の際に堀江に投げ捨てられたものだった。本田善光はこれを背負って信濃の我が家に戻り、お堂を建てた。あれこれ不思議な霊徳があり、やがて善光寺となった——。

つまり、特定宗派や偉いお坊さんが建てたのではなく、一介の男が不思議な如来像のために建てた御堂が善光寺。古来より善光寺が、宗派も男女も貴賎も問わず参拝者を受け容れてきたのは、仏教伝来のごく初期に建てられた寺だからこそ、というわけです。

この日は善光寺散策の後、上信越道で岡谷ICまで走り、諏訪湖周辺をしばらくながした後、諏訪ICから中央道で帰宅しました。渋滞もあって帰宅は夜8時過ぎ。さすがに疲れましたが、目立ったトラブルも身体の痛みもなく、無事に試行ツーリングを終えました。

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