2010年4月3日土曜日

紀之国坂・四谷濠の桜


用事を済ませて午後からVFRで都内へ。

皇居周辺は花見客であちこち渋滞。四谷の紀之国坂交差点近くにVFRを停めて、上智大学・四谷堀の桜を見る。江戸城の外堀が埋め立てられ、いまは上智大学のグラウンドとして使われている場所。

写真右側が上智大学、左は迎賓館側、画面奥は丸の内線の四谷駅。


いま赤坂御用地、迎賓館になっているところに紀州藩の屋敷があったから紀之国坂。ここは小泉八雲の怪談『むじな』の舞台になった場所でもある。以下『むじな』の冒頭。

『東京の、赤坂への道に紀の国坂という坂道がある——これは紀伊の国の坂という意である。何故この坂が紀伊の国の坂と呼ばれているのか、その故を私は知らない。この坂の片側には昔から深くたいへん広い濠があって、そこに沿って高い緑の堤が高く立ち、その土手の上は庭地になっている。——坂のもう一方は御所の長く広大な土塀がずっと続いている。まだ街灯や人力車のなかった時代には、このあたりは夜暗くなると人っ子ひとり通らないごく寂しいところであった。日暮れ過ぎ、遅くなってひとりで通る通行人は、この坂を通らずに何里も廻り道をしたものであった。というのも、このあたりはよくむじなが出たからである』

そういえば紀之国坂のあたり、いまも人通りは少ないですね。

2010年4月2日金曜日

浦和・玉蔵院のしだれ桜


なにかと気ぜわしい年度替わりの週。

寒気と暖気が交錯して、風がふき、雨がふり。あたたかくなったと思ったら冷えて。気候もめまぐるしい。街のあちこちでサクラが咲き、見慣れた風景がふいに華やぐ驚きも。

写真は浦和駅に近い玉蔵院さんのしだれ桜。
今日の帰り道、雨上がりの境内で撮影。丹念に手入れされているせいか、この時期、立ち寄る人の姿がたくさん。

2010年3月27日土曜日

水郷・白帆の湯と佐原香取


年度末の晴れた土曜日。今朝は常磐道へ。
遠くまで走ろうと思っていたけれど、高速道路を走ると意外に寒く、身体が冷えてしまった。そこでひさしぶりに日帰り温泉へ。

千代田石岡ICで降りて、355号を南下。
霞ヶ浦の湖面が見えたあとは道が空き、平野の水郷地帯をどんどん走る。伊豆や房総のような風景の変化はないけれど、空がとても広い。なんとはなしに心が晴れます。

途中、玉造の道の駅で休憩。さらに355号で南下して麻生の白帆の湯へ。11時前にはあたたかい湯船に。

白帆の湯は三階が温泉のフロアで、湯船から霞ヶ浦を見渡せる。内湯でゆっくりあたたまり、テラスの露天から霞ヶ浦を眺めているとすっかり寛いだ気分に。



麻生というのは古くからある地名で、常陸風土記にも出てくるらしい。この近辺には古墳も多く、縄文の時代から人が暮らしていたともいう。古い土地。

白帆の湯を出て、佐原へ。
佐原は古い商家がならぶ風情ある街。小江戸とも呼ばれた下利根の商業地だったところ。伊能忠敬の旧宅や記念館もある。


伊能忠敬記念館を見学。
館内展示は忠敬の生涯に沿って、日本初の実測地図「大日本沿海輿地(よち)全図」が出来るまでを追う内容。入館料500円、撮影禁止。

伊能忠敬って、もともと天文の興味から測量の世界に入ったんですね。50歳で家業を長男に譲り、江戸で天文学を勉強。地球の正確な大きさを計測するために蝦夷地までの測量を幕府に提案。55歳で江戸を出発して東日本を測量、60歳からは西日本。北海道から屋久島まで全4万キロを歩いて測量。

50歳からはじめて4万キロ徒歩測量。アースマラソンの寛平さんにも感心しますが、伊能忠敬はその何倍か凄い。

佐原の後は香取神宮へ。
咲くと参道が美しいサクラは、まだつぼみでした。